全盲は不幸?目の見えない少年ドラマー、酒井響希が教えてくれること。 

みなさん、こんにちは。

あなたは、街で棒を使って歩いている人を見て、「見えない人は可哀想だな」と思ったり、

「目が見えないから不幸だ」などと考えたことはありませんか?

そんな、無意識に 見える / 見えない で幸せかどうかを決めつけてしまう私たちですが、本当にそうなのでしょうか?

今回は、全盲の少年ドラマーの酒井響希くんの世界を覗きながら、「障害」って「個性」なのでは?って少しでも思ってもらえるような記事を目指して書いていこうと思います。

それでは早速、見ていきましょう!

2歳で視力を失った少年ドラマー、響希くんとは?

酒井響希(さかい ひびき)くんは、大阪府出身の小学6年生です。

2歳の時に、両眼性網膜芽細胞腫(りょうがんせいもうまくがさいぼうしゅ)という小児がんが見つかり、両目の摘出手術をしています。

ある日突然、全盲になってしまったのです。

(響希くん2歳、手術後)

全盲ってどんな日常?

「目が見えないとどんな生活になるんだろう」と疑問に思う人のために、ここでは少しその様子を伺ってみましょう。

年に一度の義眼の調整

年に一度、大きさの調節や表面を磨くメンテナンスを行っているそうです。

取材者:「目を取るってどんな感覚なの?」

響希くん:「気持ち悪い。」

視覚支援学校での1日

響希くんは、5歳の時から、大阪府立大阪南視覚支援学校に通っています。

同級生の多い地元の小学校に通わせるかご両親は迷ったそうですが、より全盲の子に寄り添った教育が受けられるため、視覚支援学校への入学を決めたそうです。

点字もここで読んだり書いたりできるようになったようです。

前までは走るのはあまり好きではなかったようですが、運動会で走る姿も見ることができていました。

来年の春からは、中学部。

小学部の卒業式では、その成長を垣間見ることができました。

盲目になって立ちはだかった困難とは?

視覚障害があってこれまでに困ったことは、どんなことだったのでしょうか。

お母さんと響希くんにこれまでにインタビューされていた中からまとめてみました。

手術後〜半年間、「絶望」と「不安」しかない日常

2歳の響希くん、

いきなり真っ暗な世界に動揺。

急に世界が真っ暗になったことから、精神的にも不安定になることが多くなったそうです。

また、母の康子さんは、息子の育児にはじめ戸惑ったそうです。

昼と夜の区別がつかず、「いつ眠ったらいいのか?」「そもそも眠るとはどういうことなのか?」がわからないだろうし、それをどうやって教えたらいいのかもわからなくて困った。

そして両親は、子どもを外に出したくなくなり、親子ともに一日中引きこもりがちになってしまったそうです。

そんな状況を救ったのが、積極的に外で遊ばせようと決めたことでした。

このままくよくよしていても仕方ない。響希が何か夢中になれることを見つけてあげたい。

それが両親が出した結論でした。

ドラム・音楽との出会い〜様々な人との出会いに。

3歳の時に響希くんが出会ったのが、「音楽」でした。

お父さんがドラムの前に連れて行くと、大喜びで叩き始めたようです。

まだ足が届かなかったので、たくさんの太鼓があるような気がした。

のちに、最初にドラムと出会った時に印象をインタビューで響希くんはこう語りました。

出会った人①:Def TechのMicroさん

ドラムを始めた響希くんは、音楽を通して様々な人との大切な出会いに恵まれました。

まず初めに出会ったのが、Def TechのMicroさんです。

2013年12月、Def Techのライブへ行った時に、Def Techメンバーと会話します。

そこで、Def TechのMicroさんから、4年後に一緒にセッションしようと言われました。

Micro
Micro
4年後待ってるよ、Def Techバンドで。
Micro
Micro
4年あったらいけるだろ?

当時7歳の響希くんはこの言葉を胸に、プロのドラム指導を受けながらどんどん成長していきます。

そして、4年半経った2018年7月、約束のステージに響希くんの姿が見えます!!

その時の映像がこちら!▼

出会った人②:X JAPANのYOSHIKI

その後も響希くんは様々な人たちと共演をし、2018年の24時間テレビでは、X JAPANのYOSHIKIさんとの共演を果たしました。

その時の映像はこちらから▼

ENDLESS RAINのセッション、かっこいいです。

出会った人③:Foorin(東京オリンピック・パラリンピック応援歌を歌う子どもユニット)

オリンピック・パラリンピックの応援歌を歌うために結成された5人組の子どもユニット、Foorin。

今回は、Foorinに、障害や病気を持つ子どもたち10人が加わった「Foorin楽団」が結成されました。

Foorin楽団で響希くんも打楽器隊として参加、ドラムを一緒に演奏します。

その時の映像はこちら。▼

「パプリカ」のドラム演奏のみver. はこちらからご覧になれます。▼

めちゃ上手いです。。

響希くんの想い〜点字の作文より

ここまで響希くんのドラムとの出会いと、そのすごさについてお話ししてきましたが、実はそれだけではありません。

実に多彩な彼は、全国の小学生が参加する作文コンクールでも見事に毎年入選を果たしています。

小学3年生では、「見えない世界」という作文のタイトルです。

小学4年生では、「声」というタイトルです。

響希くんの今の思いを正直に書いているので、とても感動します!

小学3年生のときに響希くんが書いた作文「見えない世界」

とにかく感動します。。

「見えない世界」小学3年 酒井響希

僕は2歳の時に小児がんで目が見えなくなりました。よく人から「見えないって、どんな感じ?」と聞かれます。

色や家族、友達の顔やアニメのキャラクターはわからないけれど、でも詳しく説明してもらうと後は自分の頭で想像して、体で感じて楽しむ事ができます。

見えないことの良いところは、暗闇でも本が読める。高いところに登っても全然こわくない。海や山などの自然を体で感じられることです。目が見えていても、見えていなくても、僕には違いがないと思います。できない事は努力や工夫をして人の倍練習をすればできるようになるからです。

僕は、4歳の時からドラムを習い始めました。音楽はすごく楽しい。音楽は人を勇気づけたり、新しい道を開いていく力があります。

僕の大親友が「音は科学が進歩しても目には見えない。耳で心で体で聞くもの」と教えてくれました。

僕は将来、プロドラマーとして世界中で演奏をするのが夢です。人に勇気を届けられるドラマーになります。

僕は多くの人に出会わせてもらって、すごく感謝しています。これからも人の出会いを大切にして成長していきます。

見えない世界もいいものだよ!!

努力とか工夫とかすれば、できないこともできるようになる。

見えないところの良い点を挙げるなど、前向きな姿勢に脱帽です。

小学4年のときに書いた作文「声」

 

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今年もこの季節がやってきました! 毎年恒例になった今年の夏休みも「少年少女きぼう新聞」主催の作文コンクールに点字で書いた作文を応募した所、全国7000作品の中から一昨年、昨年までの入選より上のビクトリー賞を授賞しましたとの連絡を先日編集長さんから頂きました㊗🎊 ビクトリー賞は上位15作品以上でしかも3年連続入選以上は史上初だそうです😆👍 作文タイトルは「声」です。 全盲ということをハンデとも考えずに毎年健常者の子ども達と同じ土俵で長男らしくチャレンジし結果を出す長男にまた大事な事を作文で教えられました😊 何事も「絶対に諦めたらあかん」で我が家はいきたいと思います💪 12月には東京である授賞式にも参加してきます🙋 最後に「ひび、ホンマにいつも勇気をありがとう!」 #全盲ドラマー #blinddrummer #小児がん #小児癌 #網膜芽細胞腫 #視覚障がい #視覚障害 #全盲 #impairedvision #10歳 #10yearsold #少年少女きぼう新聞 #少年少女きぼう新聞作文コンクール #作文コンクール #入選 #3年連続 #史上初 #ビクトリー賞 #声 #絶対に諦めたらあかん #負けじ魂

酒井健太郎(Kentaro Sakai)(@kentarock_1020)がシェアした投稿 –

「声」 小学4年 酒井響希

皆さんは家族や友達を認識するのに何を頼りに見分けますか?

僕は目が見えないので、声や匂いで認識します。

声には、高い声、低い声、真剣な声、楽しい声などしゃべり方も人それぞれ特徴があります。

初めて会った人と話をするときは緊張もするけれど、その人の声を聞いて「この人はどんな人なんだろう?」と色々と想像を膨らませます。

そして、会話をしていくうちに少し鬱相手を知ることができて楽しい気分になります。

会話は人と人とがより仲良くなれる力があり、会話のもつ力は無限大に広がっていくと思います。

そのためには人と会って会話をすることが一番大切だと思います。

僕は多くの人の声を聞きますが、一番耳にする声はお母さんです。

お母さんとは、学校のこと、今日の晩ご飯のこと、音楽のこと、将来のことなど毎日たくさん話をします。

お母さんは目の見えない僕の目の代わりとなって、声で多くのことを教えてくれます。

そのおかげで、大きな怪我もせずに、たくさんの知識を得て成長することができました。

お母さんが言った言葉の中で一番僕が好きな言葉は「絶対にあきらめたらあかん」ということです。

あきらめてしまったら、そこから先には進めないから、僕はこの言葉をこれから先、さらに生かして、どんなことがあっても絶対に乗り越えていきます。

そして、これからは僕の声で皆を幸せにしていきます。

僕は負けない!僕はがんばる!

だから、皆さん、僕の成長にこうご期待!!

目ではなく耳から声を聞いてその人の表情やどんな人かを感じているところが、彼ならではの視点で面白い文章でした。

最後に〜響希くんの想い

日テレの特集で、響希くんの率直な思いが語られています。

それが、

「(目が見えなくなっても)僕は僕に生まれてきてよかったです」

と本人が話しているところです。

その思いの背景には、

『目の見えない世界も、いいもんだよ!』

という、目が見えないというのを障害ではなく個性として前向きに捉えていくことができているからこそ言える言葉なんだなと思いました。

▼こちらから、日テレの特集映像が見られるので、ぜひ見てみてください。

とても感動します。。

終わりに

いかがでしたでしょうか。

本日は、全盲の少年ドラマー、酒井響希くんについてご紹介していきました。

ここまで成長してきた過程には、家族のサポートだったり、ドラムとの出会いだったり、いろいろな心の拠り所や支えがあってこそだと思います。

これからまたたくさんの新たな挑戦をして、さらに進化した響希君が見られたら嬉しいなと思います。

それでは、本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

また次回もよろしくお願いします〜。

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