【ライフ&コラム】一人の利益、みんなの利益

石垣島のカビラという集落で暮らし始めて半年。

今日はお盆の始まる8月13日。

今年は、旧暦と新暦のお盆がちょうど同じ日にちです。

そう、沖縄は中国の影響を昔から強く受けているので、今も行事を新暦ではなく旧暦で行っています。

そんなカビラでの生活を交えながら、今回は都会に住んでいる皆さんに忘れないで欲しいものや、便利な世の中になって私たちが忘れてきてしまった大切なことなどを、ざっくばらんに話していけたらなと思います。

カビラ集落のお盆

いま私の住んでいるところのお隣でお盆の踊り(念仏踊り)をしていました。

びっくりするくらいたくさんの人が集まってきていて、思わず

「こんなにも人住んでいたんだ・・」

と思ってしまったほどです。

お世話になっているお父さんとお母さんから、今から踊り始まるから見ていってらっしゃいと言われて見に行った時の映像がこちらです。

「どこでこの踊りを覚えたのかな・・」

と気になり尋ねてみると、

川平の集落に住んでいる先輩の方たちが放課後などに教えてくれているのだそうです。

学校や家庭も、地域の伝統行事に積極的に関わっているため、子ども達が伝統的な踊りを受継ぎやすい環境になっています。

都会ではほぼ消えつつあるこうした伝統が、地域などの身近なところで受け継がれているということに驚きました。

都会では、こういった伝統行事はどこかへ習いに行くものと考えがちですが、ここではもっと身近で生活の一部のように感じられます。

ただ少し思うのが、受験やいい学校、いい大学を望む都会のご両親たちが見たら、

「受験に関係のない踊りを放課後に練習させるなんて・・」

「この子の一生がかかっているのに踊りの練習に時間を割くなんて・・」

など、色々な反対が起こりそうだなぁ。

と少し思ってしまいました。

仲間とよそ者。- 家庭での教育について

「あなたは本気で誰かと喧嘩したことはありますか?」

「あなたは誰かを仲間はずれにしたことはありますか?」

似てるようで全く違うこの二つの問い。

仲間同士ではどれだけ喧嘩してもいい。

殴る殴られるのことをしても仲間同士ならダメなことではない。

だけど、よそから来た人に同じように手を出すのは良くないことだ。

”学校も一緒。”

都会で生まれ育った私たちの世代なんかだと、学校の先生が生徒に対して手を出すのは「悪」だっていう考えが一般的だと思います。

だけど、川平のお父さんは自分の娘(息子でない)に対しても、学校の先生に、

「自分の子どもがよそから来た子に悪さをしていたら、手を出して叱ってももいい。」

「うちの子には手を出して叱っても問題ない。」

とまで言い切っていました。

先生が生徒たちの正しくない行動に対して何も言えなくなってしまったら、全体がどんどんダメになっていく。

それは良くないことで、正さなければいけない。

そういう考え方なのだそうです。

一人の利益、みんなの利益

川平のお父さんは、昔銀行員時代に、労働組合でも精力的に活動していたそうです。

全体の労働環境を改善する為に、給料にならないことだけれど一生懸命にやっていたとのことです。

「自分の利益の為に。」

「みんなの利益の為に。」

都会に住んでいるとどうしても、前者を基準にして行動してしまう傾向にあるような気がしました。

例えば、子どもの学校選びについて。

「自分の子は変な子と関わって欲しくない。」

そういった想いから、私立の小学校や中学校を受験させます。

そうやって、しっかりとした家庭の子どもたちがいることが保障されていることを好みます。

そして、学校の先生たちが生徒に手を出したりすることは「絶対悪」だと主張します。

ですが、そうやって安心が保障されているところへ我が子だけでも入れたいと言う考え方は、本当に良い考えなのでしょうか?

「自分の子だけ良ければそれでいい。」

それは傲慢さの現れとも、受け取れはしないでしょうか。

社会全体のことを考えてみると、自分の子どもだけ良いところへ行かせたいといった考え方に対する評価が変わってくると思います。

お父さんと話しているうちに、今まで普通で当たり前だと思っていた考えや価値観にたくさんの疑問符が浮かんできました。

今そこにいる環境に問題があるなら改善するように行動する。それが自分自身の利益にならなくても。

みんながもっと楽しく過ごせる環境にしていくように行動する。

そういったことの方が、自分の子どものことだけを考えることよりも大切なことではないか。

そう思い直しました。

お父さんはこうも言っていました。

一人のためって言うのはいいことじゃなくて、結局自分をも苦しめることになるんだ。

逆にみんなのためって言うのはそれこそいいこと。

なぜかって。

みんなにとっていいことは自分にとってもいいことだし、周囲の環境が良くなればめぐりめぐって、自分にも福が来るから。

ビールと旧盆のご馳走をいただきながら、労働組合の活動に熱心になっていた理由がわかるような気がしました。

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