2019年4月23日、祖父が他界した。
享年86歳だった。
『最後に会えなかった。』
『最後に手をつないであげられなかった。』
『最後にギターを弾いてあげたかった。』
様々な後悔の念が、わたしの胸をいっぱいにした。

わたしが父の実家についたとき、祖父は既に棺の中だった。
「3ヶ月前に会ったときは、まだ元気で何も心配なさそうだったのに。。」
いまはもう、ベッドの中で寝てすらいない。
ショックだった。
「自分が沖縄にいなければ会えたかもしれない。」
そんな思いを拭い切れなかった。

祖父が他界した次の日、わたしは飛行機で名古屋の実家に戻ってきた。
豊橋で行われる葬式に参加するために。。
葬儀は滞りなく行われた。
父が喪主を勤め、今は亡き人である祖父を曹洞宗のしきたりに従って追悼した。
葬儀場でのお経が唱え終わり、棺の中をお花でいっぱいにしたとき、初めて祖父の死後の身体に触れた。
冷たかった。
その「冷たさ」から、祖父の魂はもうこの身体には宿っていないのだということを感じ、一旦引いた悲しみがまた、こみ上げてきた。

棺の中に入った祖父の身体に、「今までよく頑張ったね」って声をかけた。
ついこの間まで生きていた身近な人がこの世を去り、火葬場で焼かれていく様子を間近で見るのは、今回がほぼ初めてだった。
棺の中には、先に逝ってしまった祖母が作ったくす玉が一緒に入れられていた。
(祖父はずっと大事に飾っていた)

そのくす玉と共に、祖父の身体はものの2時間もせずに廃と化した。
後には骨だけが残った。
わたしは信じている。
祖父の身体はその役目を終えただけで、魂は永遠に残っていると。
物質と魂は別で、愛は永遠に消えないということを、わたしは学んでいる。

祖父の死は、とても辛かった。
だけど、これまでに祖父に与え、与えられてきた「愛」というエネルギーは、わたしから他の誰かに与えられ、永遠に生き続けていく。
もしもわたしが「愛」というエネルギーを閉ざしてしまったら、祖父がわたしにくれた優しさは止まってしまう。
だからわたしは、人を愛し、幸せに生きていくことをやめない。
そう誓った。
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